長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」 第6回(p8-10)

レポート https://akasakas.cool/wp-content/uploads/2020/05/第6回1.6-Algebraic-notation-Viète-and-Descartes20190328勉強会.pdf

音声 https://anchor.fm/tecum/episodes/A-History-of-Abstract-Algebra-by-I-Kleiner-p8-10-ed8vih

1 History of Classical Algebra
1.6 Algebraic notation: Viète and Descartes 代数的記号法 ビエタとデカルト

3千年もの間、記号なしに代数学が発展してきた。代数学に対しての記号表記の導入と完成は、16世紀と17世紀初めに主にビエタとデカルトによってなされた。

ビエタの基本的なアイデアは、任意の係数(定数)を方程式に導入し、そしてこれらを方程式の未知数(変数)と区別することであった。彼は子音(B, C, D, . . .) を定数とし、母音(A, E, I, . . .)を変数とした。これは有名な話です。

シナゴゲとアナリキケって知ってる?ギリシャ語で、(さすが数学の祖だ)、
「method of synthesis」は、シナゴゲに相当するもので、総合の方法というもので、「method of analysis」は、分析の方法。シナゴゲというのは、答えがあるとすれば、こうでなくてはならない、という理論をいう。それに対して答えがまさにそうであるということを分析的に論ずることを、解析と言う。

解析は総合に比べて、一段低い位置にあった訳ですが、近世に実はその解析にこそ命があると、解析と総合の地位の逆転が起こるわけです。これが数学史の歴史の中で最も重要な事です。

ビエタの欠点
(ⅰ) 彼の表記法は、「短縮」だった。
(ⅱ) ビエタは、代数表記において、全ての項は同一次数を持たなければならないと“同次性”を要求した。
(ⅲ) 代数的解は幾何学的証明であった。ビエタといえども例外ではなかった。
(ⅳ) ビエタは方程式の根を正の実数に限定した。

2千年の間、幾何学は、数学の言語となるべく大きい位置を持っっていたけれど、今や代数学が数学の言語としての役割を果たし始めた。


長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」 第5回(p7-8)

レポート https://akasakas.cool/wp-content/uploads/2020/05/第5回1.5-The-cubic-and-complex-numbers20190326勉強会.pdf

1 History of Classical Algebra
1.5 The cubic and complex numbers 3次方程式と複素数

負の数の平方根の存在が初めて認められたのは16世紀になってからだ。
3次方程式のベキ根による解法を通じて、全てが変わった。カルダーノは負の数を信じないので、彼の公式をx^3 = 9x+2のような方程式には応用できないとカルダーノはみなした。しかしこれらすべてはBombelliボンベリによって変えられた。ボンベリは複素数のための微積分学を発展させた。

1572年ボンベリは、虚数を定義した。(+ √−1)(+ √−1)= −1および(+ √−1)(− √−1)= 1、そして特定の複素数の加法と乗法を定義した。これが複素数の誕生だった。

1831年ガウスによって虚数という言葉が定着した。複素数平面をガウス平面という。ちなみに高校までは複素数平面というが、大学に入ると複素平面という。この言い方の違いがわからない。


長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」 第4回(p5-7)

レポート https://akasakas.cool/wp-content/uploads/2020/05/第4回1.4-Cubic-and-quartic-equations20190326勉強会.pdf

1 History of Classical Algebra
1.4 Cubic and quartic equations 3次、4次の方程式

カルダーノは1545年に著した本『偉大なる術(アルス・マグナ)』(ラテン語: Ars magna de Rebus Algebraicis) のなかで3次方程式の根の公式、4次方程式の解法を示した。

BC16世紀までに2次方程式を解していたのに、3次方程式が解けたのはそれから3,000年も費やしたのだ。x3乗 = ax + bという3次方程式の解は、カルダーノの公式(タルタリアによって発見されていたものだが)として呼ばれるものだ。
(i) カルダーノは記号を全然使わなかった。
(ii) 彼は、通常、3次方程式の一つの根を見つけることでいつも満足した。
(iii) 負の数は時々発見されるけれども、それらを“fictitious”(虚数)と呼んで、疑った。
(iv) 3次方程式の解法手順に幾何学根拠を与えた。

21歳年上のカルダーノの召使いとして働いていたフェラーリは、4次方程式の多項式のベキ根による解法を発見した。

16世紀イタリアに3人の数学者が生きていた。フェラーリは1565年に43歳で毒殺され、カルダーノは1576年に75歳で自殺した。もう一人はボンベリである。


長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」 第3回(p3-5)

レポート https://akasakas.cool/wp-content/uploads/2020/05/第3回1.3-Al-Khwarizmi20190320勉強会.pdf

1 History of Classical Algebra
1.3 Al-Khwarizmi アルクワリズミ

イスラムの数学者たち、おそらく中でも最も際立っていたのは、Muhammad ibn- Musa al-Khwarizmi ムハマド イバムサ アルクワリズミであって、彼は720年頃から850年くらいまで生きたとされるが、“代数学におけるユークリッド”というように例えられる。というのは、代数学あるいは代数学の知識、“代数学”(そういうものがその当時あったとして)に関して、それを体系化し、それを独立した研究分野として確立した。現在の“algebra”代数学という言葉は、“Al-jabr”という彼の著書の中の言葉に由来する。

Al-Khwarizmi(アルゴリズムの語源になった)は、方程式の解法の基本的手順(方程式の両辺から同じ項は、消去できること)を2次方程式の解法に応用していた。彼は2次方程式を5つのタイプを分類した。

 次は、彼の解法と問題の一つの例である。
「正方形とその辺の10倍分だけ増加させられた時、39となる解を求めなさい。」
(即ち solve x^2 + 10x = 39).
 解:辺rootsの数(xの係数)を半分にしなさい。今日の例では、5が得られる。それを今度は2乗する。結果は25。39に加えると64になる。64となる正方形の辺、それは8を得る。その8から辺rootsの係数の半分即ち5を引く。残りは3。これが、探していた正方形の辺である。
Al-Khwarizmiの証明は、gnomon (グノーモン;平行四辺形から対角線上に頂点を持つ平行四辺形を取り除いたL字形の図形)を作図する。

今更ながら6世紀の証明の理解しかできていない自分に唖然とする。


長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」 第2回(p2-3)

レポート https://akasakas.cool/wp-content/uploads/2020/05/第2回1.2-The-Greeks20190313勉強会.pdf

音声 https://anchor.fm/tecum/episodes/23-4-5A-History-of-Abstract-Algebra-by-I-Kleiner-p2-8-edab94 (p2-3)のみです

1 History of Classical Algebra
1.2 The Greeks 古代ギリシャ

Euclid(ユークリッド/エウクレイデス)は、古代ギリシャBC300年頃の数学者で、「Elements(原論)」の著者であり、「幾何学の父」と称される。このユークリッド幾何学は19世紀末から20世紀初頭まで使われてきた。

ギリシャ代数学の業績はDiophantus’ Arithmetica (ディオファントスの数論)である。200年頃の人だからユークリッドの時代から500年以上経っている。ディオファントスは、代数で記号を導入した。3とか5とか数で表現してきたものが、xを使って方程式を扱うことになる。これが代数学の最初の大きな出会いになる。
Diophantusの代数学
(a) 二つの基本的ルール。一方の辺から他方の辺へ移行する際のルール、式の両辺から同一の項を消去するルール。移行するときはプラスマイナスが変わる、同一のものは消していいということ。
(b) 未知数の負ベキの定義をした。そして、指数法則を明確にした。
(c) 負係数の演算についていくつかの諸規則を述べている。例えば、マイナスにマイナスをかけた時はプラスになる。
(d) 古代ギリシャの伝統の鎖から離れていた。

x^3 −2x^2 +10x −1 = 5 をギリシャ文字で表すことはクイズのようで、手間がかかるが楽しい。
ςシグマは未知数(ζゼータではない)、Φファイは引き算、Īōイオシグマは等しいという相当性、Δσ (デルタの上付きシグマ)は未知数の平方、Κσ(カッパの右肩シグマ)は立方、などなど。


長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」 第1回(p1-2)

レポート
https://akasakas.cool/wp-content/uploads/2020/05/第1回1.1-Early-roots20190306勉強会.pdf

音声
https://anchor.fm/tecum/episodes/A-History-of-Abstract-Algebra-by-I-Kleiner-p1-2-ec9529

およそ紀元前1700年頃のバビロニア人は2次方程式を解いている。係数も変数も無く、しかも60進法を用いて。
<問>
I have added the area and two-thirds of the side of my square and it is 0;35[35/60 in sexagesimal notation]. What is the side of my square?
<解>
You take 1, the coefficient. Two-thirds of 1 is 0;40. Half of this, 0;20, you multiply by 0;20 and it [the result] 0;6,40 you add to 0;35 and [the result] 0;41,40 has 0;50 as its square root. The 0;20, which you have multiplied by itself, you subtract from 0;50, and 0;30 is [the side of] the square

この文章が理解できた時、とても嬉しかった。およそ4千年前のバビロニア人と会話できたように思えた。しかし、現在の表記法が発明されたおかげで、数学は式として表せるようになった。代数は人が創った人工言語なのだ。だから厳密さを要求され、証明するということが最も大事なこととなる。曖昧にしていると、「なぜ、それが言えるのか、根拠を言え」と突っ込まれる。曖昧な笑みはここでも不要!


長岡亮介数学勉強会「A History of Abstract Algebra by I.Kleiner」

音声
https://anchor.fm/tecum

大学の数学科に籍を置いていたというのに、高校までの数学しかイメージできない。「数学科、すごいね」と言われるたびに、「数学は哲学」なんて、煙に巻いていた。

50年のブランクを経て、事もあろうに、数学者長岡亮介先生

NPO法人TECUM http://www.tecum.world/ 理事長)にご指導いただくチャンスを得た。テキストはI.Kleiner著「A History of Abstract Algebra」。1700BCの数学から20世紀抽象代数への4千年の歴史を学ぶことになった。(高田順江)

(注)録音は周りの騒音も入ってお聞き苦しいところもありますが、ご容赦ください。なお、レポート(テープ起こし)は先生のチェックを受けておりませんので、正確な翻訳にはなっておりません。